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企画展示

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 『望郷の丘』 -盲人会が遺した多磨全生園の歴史-

ハンセン病,望郷の丘

  • 会期:2019年9月28日(土)から12月27日(金)まで
  • 会場:当館2階企画展示室
  • 開館時間:午前9時30分から午後4時30分まで(入館は午後4時まで)
  • 休館日:月曜および国民の祝日の翌日(ただし、10月14日、11月4日、11月24日は開館)
  • 入館料:無料
  • ※視覚障がいをお持ちの方で、個別に担当学芸員からの展示の解説をご希望される場合は、事前にご連絡ください。
    (企画展担当:田代・大久保)

 国立療養所多磨全生園入所者の視覚障がい者の団体である多磨盲人会は、1979年に『望郷の丘』を出版しました。この本は、盲人会の創立20周年を機会として「多磨全生園の70年にわたる歴史を背景に、盲人を、盲人会を語ることの必要性」から、4年の歳月をかけ編纂(へんさん)されたもので、晴眼者を含めた35名の証言が収録されています。
 ここには、今や知ることが難しい第一区府県立全生病院時代の患者とその生活、隔離のなかでの「自治」の模索、戦後の入所者自治会や全国組織である全癩(らい)患協(現全療協)の誕生とそれに続く運動などが語られています。また、視覚障がいのために療養所の中でもさらに「弱い立場」とされた人々が、どのような思いでその時々を生きてきたのかや、職員や療養所の外の人々との関わりが、当事者自身の視点から描かれています。本書は療養所の中を知り、同時に当時の社会を捉えることができる貴重な証言集となっているのです。
 今回の企画展では、この『望郷の丘』に収められている証言を基として、多磨全生園の歴史を視覚障がい者を含め患者・回復者はいかに歩んできたのか、資料や写真を用いご紹介いたします。彼らの過去の暮らしや営みを知ることは、本年9月28日に開院から110年を迎えた同園の、今後のありかたを考えていくためにも大きな意味があります。本展が多磨全生園の歴史と、そこに生きた人々への理解を深めていただく機会となれば幸いです。

ハンセン病
ハンセン病 ハンセン病 ハンセン病
患者作業ー盲人の洗濯作業
大正期 全生病院(現 多磨全生園)館蔵
将棋盤
1969年 多磨全生園 館蔵
看護切替資料
1957-1976年 多磨全生園 多磨盲人会蔵

企画展のちらしをダウンロードできます。(PDF:3,551KB)
※PDFファイルをご覧になるには、Adobe Reader(無料)が必要です。
  こちらからダウンロードしてご利用ください。


企画展関連事業:いずれも参加無料、事前申し込み不要、先着順

ギャラリートーク
・日時:9月28日()、10月27日()、11月16日()、12月22日(
 いずれも14時から14時30分まで
・場所:当館2階企画展示室

上記の日程にてギャラリートークを行います。
本企画展担当学芸員が、今回の展示について解説します。

 
 

フィールドワーク 『望郷の丘』に描かれた多磨全生園を巡る
・日時:10月5日()、11月24日()、12月14日(
 いずれも14時から15時まで
・場所:多磨全生園内 開始10分前までに当館1階ロビーにお集まりください
・各回先着30名 荒天時中止の場合あり

上記の日程で全生園内でのフィールドワークを行います。
本企画展の題材となった多磨盲人会による証言集『望郷の丘』。ここに取り上げられている多磨全生園内の場所を、担当学芸員と共に巡ります。

 
 

元職員が語る多磨盲人会-吉野志げ子さん・亀井義展(よしひろ)さんをお招きして
・日時:10月22日(火・祝14時から15時30分まで(13時30分開場)
・場所:当館1階映像ホール 先着130名

盲人会に職員として配属され、『望郷の丘』編纂委員との付き合いも深かったお二人より、当時の様子を伺いました。

 吉野志げ子さんと亀井義展さんは、1981(昭和56)年、それまでは入所者が担っていた世話係を職員に切り替えるというタイミングで、盲人会の職員に配属されました。
 初めての試みでしたから当然、どのように仕事をすればいいのかわからず、手探りの状態から始まったと、吉野さんは振り返ります。
 晴眼の入所者より生活での不自由が多く、場合によっては“じゃま者扱い”されることも少なくなかった視覚障がい者が立ち上げた盲人会でしたから、療養所での生活改善のため、吉野さん自身も年に二回ぐらい、議員会館に陳情で訪れたことがあったそうです。
 ハンセン病の後遺症で視力を失ったり、弱視になった療養所の人たちは、かつて自分の目が見えたときの楽しさ、喜び、幼いときの懐かしい思い出を、心の中にひそかに宿し続けている人たちでした。そうした“心の眼”が記憶している映像を言葉で表現する、俳句や短歌などの短文芸を創作する盲人会の人たちを支えることも、吉野さんの大切な仕事でした。視覚以外の、たとえば聴覚などが鋭敏な人たちから、俳句や短歌の材料とするため、「今鳴いた鳥は何?」と訊かれて、吉野さん自身が教えられることも多かったようです。
 多磨盲人会の職員になる前、亀井義展さんは、多磨全生園入所者自治会が1979年に発行した『倶会一処 患者が綴る全生園の七十年』で名前を知った、松本馨さんに手紙を出したことが、盲人会に仕事として関わるきっかけとなりました。当時、多磨全生園入所者自治会の会長を務めていた松本さんは、自身も視覚障がいがあり、多磨盲人会の活動にも尽力していました。
 入所者同士がいわば“共助”として助け合いながら行ってきた仕事を、“公助”として、職員という立場で行うようになった時代だったと、亀井さんは語りました。
 亀井さんが精力的に取り組んだ仕事は、書籍などの朗読を提供するテープライブラリーで、全国に13ある友園(ハンセン病療養所)の盲人会や、園内各所に届けるテープの作成や発送だったそうです。仕事を始めた当初は、オープンリールのテープが使われていました。
 亀井さんは盲人会の会員に依頼されて、手紙の代筆なども行いました。当事者にとって一番身近な介護員ではなく、盲人会の職員である自分たちに代筆を依頼されることが多かったのは、手紙の内容に、今は離ればなれになっている家族のことなど、個人的な話も含まれていたので、自分たちが頼みやすい相手だったからではないかと、亀井さんは話しました。
 二年ほど多磨盲人会の職員だった亀井さんは、その後、不自由者棟でも仕事を続け、毎年十一月の全生園祭のとき、公会堂で発表が行われるコーラス会の活動などにも取り組みました。亀井さんは、今は亡くなったかつての入所者たちのためにと、当館に隣接する納骨堂に向けて、会場から懐かしい歌を披露してくださいました。
 吉野さんも、2019年8月に99歳で亡くなった、多磨盲人会設立時からの会員として最後の一人であった坂井春月さんの思い出に触れ、「友達がたくさん亡くなって寂しい」と口にされたことが、参加者の印象に残ったようでした。

国立ハンセン病資料館 広報担当 清原工

   
   

やってみよう、鈴ボール!盲人会のレクリエーションを体験
・日時:11月2日(
・場所:当館1階研修室

視覚障がい者も晴眼者も、子どもも大人もみんなが楽しめる、音を使ったボーリングに挑戦しました。

 鈴ボールは多磨盲人会が1985(昭和60)年から不定期で開催してきたレクリエーションです。タンバリンを鳴らし、その方角に鈴入りのボール(ブラインドボール)を投げてピンを倒し、点数を競います。今回参加者にはアイマスクで目隠しをしてもらいました。「見えない」状態に加え、知覚麻痺や運動障害を想像してもらうことで盲人会員の感覚に近づくことを目指しました
 当日は、子どもから大人まで24名の方にご参加いただきました。練習の一投目は高得点でも、本番の二投目、三投目では一本もピンを倒せない場合もあり、眼が見えない中でボールを投げる難しさや、タンバリンの鳴っている音の方角を見極める難しさを感じていたようです。目隠しをすることを怖がる小さなお子さんは、後ろ向きで投げることで競技を体験し、家族ぐるみで楽しんでいました。
 盲人会で行われていた鈴ボールも、職員に助けてもらいながら投げる人、車いすに座りながら投げる人と、ハンセン病による障害が違う中で、それぞれが工夫をしながら競技に参加していました。「見えない」という状況で、来館者もそれぞれに自分の投げ方を工夫をしていたように思います。最高得点は215点でした。