日 時 | 2017年2月18日 (土) 13:30~(開場 13:00) |
場 所 | 国立ハンセン病資料館1階映像ホール (交通案内) |
定 員 | 120人 (予約不要・先着順) |
入 場 無 料 |
演目として、背景に往古の日本社会とハンセン病との関連も窺える「小栗判官」「しんとく丸」を予定しております。
東京都指定無形文化財の保持者でもある若松若太夫師匠の迫真の弾き語りの世界をご一緒に堪能しませんか。
閉演後も館内の展示をご覧ください。皆様のご来館をお待ちしています。
説経節は三味線を伴奏とした語り物の芸能です。もともとは仏教の教義を説く「説経」が発生です。鎌倉時代に僧侶が庶民に教典の教義を説いた「説経(教)」が唱導という芸能となり、室町時代に「さんせう太夫」「小栗判官」「石童丸」「くずの葉」「しんとく丸」など五説経といわれる物語がつくられました。それを巷間の説経師が語りました。
近世初期に三味線と結びついたのち流行しますが、一時衰退します。寛政の頃江戸で再興され、明治・大正・昭和にかけて初代若松若太夫が活躍しました。初代の没後、二代目若松若太夫は一旦廃業しますが、昭和五十年代に再び語りを復活させました。その後三代目若松若太夫がその芸を受け継ぎ、現在活動をしています。浪曲などの源流としても注目を浴びています。
しんとく丸 あらすじ
河内国高安郡の長者、信吉夫婦には子供がありません。清水の観世音に願をかけて、やっと男の子を授かりました。信吉夫婦はこの子に、しんとく丸と名をつけました。しんとく丸は九歳から三年間信貴山で修行をします。十三歳の時に四天王寺で稚児舞を舞いますが、そのときに蔭山長者の娘、乙姫にみそめられて恋仲となりました。
ところがまもなく実母が急死します。継母は自分の子二郎に家督を継がせんがためしんとくを呪い、百三十六本の釘を都の祇園社などに打ち付けて歩きます。これによりしんとく丸は病者となり盲目となったのです。
信吉は家来の仲光に申し付け、しんとく丸を四天王寺に捨てさせます。捨てられたことを悟ったしんとく丸は、熊野湯の峯へ湯治に行こうと思い付きますが断念します。そこに、しんとく丸を捜しにきた乙姫と対面することとなります。しんとく丸と乙姫は一緒に清水寺に参詣し、病の本復を祈ります。すると観世音のお告げがあり、「鳥箒(とりほうき)」が授けられます。
さてしんとく丸はもとの姿にもどることができますでしょうか・・・
小栗判官矢取り あらすじ
小栗判官正清は、相模横山大膳の計略に引っかかり毒殺されて地獄に堕ちるが、閻魔大王の裁定により地上界に戻された。しかし異形の餓鬼阿弥の姿となり、歩くことすらままならない。餓鬼阿弥となった小栗は、藤沢の遊行上人の手助けで、土車にのせられて、妻の照手姫や多くの人々の手助けで熊野本宮の湯の峰へ運ばれ薬湯の効用により蘇る。「矢取りの段」は本復した判官政清が、修験者姿で生家の館を訪ねるが丁度自分の一周忌法要の最中であった。悲しみにくれる母に親子の名乗りをするものの、父高倉大納言は聞き入れず、本物の政清ならば「矢取りの秘術」を習得しているはずと政清に向かって矢を射かけるのであった。
若松若太夫師匠の説経節の公演が開催されました | |
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2月18日(土)午後1時30分から、当館では初めての試みとなります、三代目若松若太夫師匠による説経節の公演会が開催されました。会場は三味線を伴奏とした語り物の芸能に包まれる中、演目は五説経といわれる物語の中から背景に往古の日本社会とハンセン病との関連も窺える「小栗判官 親子対面矢取りの段」と「しんとく丸」について公演が行われました。当日は、大勢のお客様にご参加いただきまして、ありがとうございました。 | |
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公演会のちらしをダウンロードできます。(PDF:180KB)
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説経節 若松若太夫公式サイトはこちらです。